Gray-mama’s blog

発達障害グレーゾーンの子育てブログです。

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小学校高学年

前回は5年生の時に行われた、林間学校の事を書かせていただきました。

高学年になってからは本当に大変な2年間だったと思います。

Grayちゃんにとっても、早生まれと言うことだけでは解決できない、何かモヤモヤしたものがあったのだと思います。

 

忘れ物は相変わらず多く、高学年になると連絡帳を書いたのかを、先生がチェックしなくなり、板書を写すことが苦手なGrayちゃんはもちろん連絡帳を書いてきません。

そもそも連絡帳に書いていないので、何が必要なのかもわかりませんでした。

それでもやはり、授業に必要なものがないと、自分も困りますし、他のお子さんにも迷惑がかかります。最悪の場合は授業に参加できないこともあるかもしれません。

なるべく同じクラスのお友達のお母さんに聞いたりして、持たせていましたが、私の仕事の都合上、帰りが遅くなってしまったときなどは、連絡を取ることができず、持ち物がわからない日も多くありました。

 

以前にも書きましたが、宿題も5年生になってからは、本当に多く、特に5年生の担任の先生は何度も反復して行わせる宿題が多かったので、本当に時間をかけて宿題をしていました。漢字の書き取りも3回づつとか、5回づつとかその日によって回数も違っていましたし、算数ドリルなども、3回は繰り返しやっていました。

1回やって、写してしまえばいいのにとも思い、こっそり入れ知恵をしてみたこともありました。その時はそうだね。なんて言って、1回やったものを写していったこともありましたが、写すことも苦手なGrayちゃんです。写すことも忘れてしまい、毎回毎回、算数ドリルには苦戦していました。

 

ゆっくりと時間をかけて、順序よく説明すると、算数も解けるのです。

応用が利かないことと、最初からあきらめてしまい、問題すら読まない…

算数に苦手意識ができてしまったのもこの時期だと思います。

幸い言葉の理解はあり、時間をかければできることから、学習障害を疑われることはありませんでした。

 

高学年になると、下級生をお世話したり、学校のお手伝いをしたりする活動も増えてきました。

Grayちゃんは末っ子で、いつも赤ちゃん扱いをされていたせいなのか、自分よりも小さい子の面倒をみるのは嫌いではありませんでした。

しかも下級生に対しては、劣等感を感じることは少ないので、下級生と関わるお手伝いはよくしていたようです。

6年生の時は、委員会活動で、園芸委員になり、委員長を務めさせていただきました。

我が家は親子揃って三代目JSOULBROTHERSの岩田剛典さんのファンなのですが、ちょうど園芸委員になる前に、植物図鑑~運命の恋ひろいました~という映画が公開され、色々な野草や花に興味を持った時期でした。

色々なタイミングで委員長をやらせていただくことができ、Grayちゃんとっては自信につながる良い経験だったのではないかと思っていたのですが、やはり委員長となると、責任も重く、初めの頃は良かったのですが、行動の遅いGrayちゃんには負担が大きかったようです。が、先生のお力もあり、1年間やり遂げました。

やはり、周りの方々の協力があってこその達成感だったと思います。

 

高学年の時期は、チャレンジしてみるものの、途中で挫折してしまう出来事も多かったと思います。

できない事での挫折と言うよりは、できるけれども、周りのお子さんたちの行動が早く、そのスピードに追い付けずに諦めてしまうことが多かったのかな?と思います。

出来ないと思いたくない、親の欲目かもしれませんが‥

 

6年生になって担任の先生も変わり、宿題は少し楽になりました。量的にはそれほど変わっていなかったと思いますが、反復の宿題がググっと減りました。

漢字と算数両方の宿題が出たりはしていましたが、反復して行うことが苦手だったGrayちゃんには少し楽になっているように見えました。

6年生は男の担任の先生だったこともあり、聞いてもらいたいと思っていることの半分も言えていなかったようです。

口が達者なGrayちゃんは、口では偉そうなことをいう割には、やらなくてはいけないことがきちんとできないので、疎まれていたのだと思います。

6年生ぐらいになると、女子は特に難しい時期になります。

目立った暴力のようないじめはなかったものの、気持ちの面では落ち込むことも多かったようです。

そもそも学校の事を話してくれるタイプの子ではなかったので、学校の事を聞いてもあまり話してくれませんでした。聞いても別に‥とか、普通‥とか。

今は、小学生時代は黒歴史だから‥などと言っています。

でもやはり、具体的にどのようなことがあったのかは今でも話してくれません。

 

高学年になってからの2年間は本当につらい2年間だったのだと思います。

6年生になってからは、ウソや、ストレスからくるせいなのか、いたずらのようなことも増えました。

英語の先生のお宅で、トイレを借りてトイレスタンピーを押しまくったり・・・

でも自分はやっていないとわかりやすくウソを言います。

学校のものを壊して呼び出されたこともありました。

そんなこともあり、英語の先生に中学に入る前に一度、病院を受診されてみては?

と、すすめられました。

わたしもウソの件は気になっていましたし、そのころからは、少しづつ発達障害のことも調べる様になっていたので、受診してみることにしました。

 

次回は病院選びから、受診に至るまでを書いていきたいと思います。

 

 

 

 

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林間学校

前回、教育相談を受けることになった経緯や、ウィスクの結果などについて書かせていただきましたが、今回はその結果を受けてからの、経過を書かせていただきたいと思います。

 

教育相談の先生と話をして、Grayちゃんのテスト結果は得意な事を中心に伝えました。

言葉での理解力が高いため、

・なるべく人の話はきちんと聞くこと。

・できないことも、恥ずかしい事ではないので、わかるまで聞くこと。

その2点を中心に伝えたかと思います。

逆に苦手な事をどのように工夫して乗り越えていくかは、一緒に考えていきました。

 

空間認知について前回書きましたが、空間認知が苦手なことによって、はじめて行く場所の把握などが難しいらしく、迷子になりやすいそうです。

はじめて行くショッピングセンターや、近所のお友達の家に行くことも、一人では行かせないようにしていました。

 

5年生の夏休みに林間学校に行ったのですが、はじめて行く場所で心配はありましたが、集団行動ですし、学校行事ですので、Grayちゃんも心配はしていましたが、行かせました。

バスで目的地に着き、点呼をとり、トイレに行きたい人はトイレに行くように言われたそうです。行動の遅いGrayちゃんは少し遅れてトイレに行き、戻るのが遅くなってしまったそうです。そこで、まさかの・・・

置いていかれてしまったそうです。

もちろんGrayちゃんは初めての場所ですし、相当なパニックだったようです。

ただ、Grayちゃんの偉かったところは、パニックになりながらも冷静に、まず乗ってきたバスがまだあるか確認したそうです。

バスがあることは確認し、次に大人を探し、自分が置いて行かれたことを説明し、目的地の係りの方のところに連れて行ってもらったそうです。

言葉で説明ができたので、できた行動だと思います。

一番小さく、いつも一番前に並んでいるGrayちゃんが置いていかれるなんて、想像もしていませんでした。

その後、係りの方に連れて行ってもらい、無事クラスに合流できたそうです。何事もなく良かったです。

帰ってくるまで、学校からの報告はありませんでした。

帰宅する日、親は学校へ迎えに行くのですが、帰ってきて担任の先生ではない方が、笑いながら、トイレに行っている間においていかれてしまいまして…と話されました。

最初はGrayちゃんの行動が遅くて、そのようなことになってしまったのかと思い、すみませんと謝ってしまいました。

後から担任の先生から説明があり、確認不足で、おいていってしまったとのこと。

その時も笑いながら話されていました。

迎えに行ったときは、ご迷惑をおかけしました。と言ってしまいましたが、よくよく考えると、Grayちゃんは悪くないのです。

完全に学校側の確認不足。今思えば、もっと学校側を責めても良かったかもしれません。帰ってからとにかくGrayちゃんを褒めてあげました。

どれだけ不安だったか、本当に頑張ってくれたと思います。

このことは、今でもトラウマになっているらしく、林間学校のことは思い出したくない。と言っています。

夏休み明けの授業参観の際に写真販売があり、廊下に掲示されている写真を見て、買いたい番号を記入して購入するのですが、一枚も買いたくないし、いらないと言うのです。思い出だからと思い、私のほうで何枚か選び、購入しました。

Grayちゃんはかたくなに、買いたくないの一点張りでした。このことは学校にも説明し、購入した写真は私が学校に取りに来るので、本人には渡さないで下さいとお願いしました。

・・が、担任の先生は忘れてしまったのか、他のお子さんと同様に本人に持ち帰らせました。さすがに私もショックでしたし、Grayちゃんも写真なんかいらないと泣きじゃくりました。このことは本当に心が痛みました。

さすがにこのことはモンスターペアレントになっても良かったかな、とも思いますが、ご迷惑をおかけしているほうが圧倒的に多いなと思ってしまい、モンスターにはなれませんでした。

学校に対して、不信感がでてきたのもこのころからでした。

 

 

このころから、少しウソをつくことが多くなってきたように感じます。

具体的な内容は忘れてしまいましたが、苦手なことをウソでごまかすと言ったような内容だったと思います。

5年生の担任の先生は、今までの4年間の先生とは違い、高学年らしくと言うことを強調されていました。

Grayちゃんにとっては本当につらい1年間でした。宿題も他のお子さんたちよりも多く出されていましたし、居残り勉強のような事をさせられてたことも多々ありました。

私から見ると、5年生の時のほうが辛そうでしたが、Grayちゃん本人は6年生のときの担任の先生のほうがつらかったそうです。

 今でも、小学校時代のことは思い出したくもないと言います。

苦手なことがわかってきたものの、自分だけできない、劣等感のようなものを感じていたのかもしれません。

 

とにかく林間学校では頑張ってくれたようでした。

体力もないので、登山なども大変だったようです。

おいていかれた事件は1日目のことだったらしく、不安な中、3日間本当に頑張りました。今でも褒めてあげたいと思うのですが、Grayちゃんは思い出したくもない出来事なので、封印しています。

 

次回も高学年のことについて書いていきたいと思っています。

 

 

 

 

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英語教室と教育相談

40代後半にきていて、更年期と思われる症状が次から次へと出てきています。

仕事と家事をして、blogにまで手が回らない日々でした。

Grayちゃんの学校のことや、パワハラ上司の仕事へのストレスなど。

誰でもストレスを抱えながら生活をしていると思いますが、加えて、更年期・・

ついに命の母を飲み始めてみました。

効果は・・週末に飲み始めて、土日はお休みなので、あまり効果は実感できず、週明けの効果に期待してみたいと思います。

 

話がそれてしまいました(;^_^A

 

Grayちゃんの英語教室のことは前回も触れましたが、少し詳しく書かせていただきます。

姉も幼稚園の年中さんから13年間お世話になりました。

Grayちゃんも年中さんから今も継続中でお世話になっていますが、もう10年お世話になっています。姉もお世話になっていたので、Grayちゃんがおなかの中にいたときからのお付き合いになります。

面倒見の良い先生で、姉が中学生の時にアメリカに短期留学できたのも先生のおかげでした。

先生が短期留学生の添乗のお仕事もされていて、添乗にいくツアーの留学をしてみないかとのお誘いでした。急なお誘いで、金銭的には大変でしたが、今となってはあの時に行かせておいて良かったと思います。コロナ禍になってしまい、大学の留学プログラムは全て中止になってしまいました。留学プログラムがあるから選んだ大学だったのに、本当に残念で仕方がありません。しかも8カ月とは言え、行ったか行かなかったかは、これからの人生で、結構大きく違いがでるのではないかと思っています。

先生もしばらく添乗のお仕事はされていないようです。

Grayちゃんも機会があったら行ってみたいと言っていたので、できれば行かせてあげたいと思っています。

 

またまた話がそれてしましましたが、英語だけではなく、Grayちゃんの色々な事を見てくれていて、いわゆる、学習塾といった感じではなく、遊びも含め楽しく学習をする形式をとられています。

Grayちゃんは小さいころ鏡文字になることが多く、これはどのお子様でもあって、アルファベットの小文字のbやd、pやbなど間違えやすい文字が英語にもあります。

書き順など正しく覚えないGrayちゃんは鏡文字になってしまうことも多かったと思います。

そんな関連からか、Grayちゃんは複写することが苦手かもしれませんよと言われたことがありました。私はいつも通り、早生まれのせいでしょうか?などと、あまり真剣に受け止めていませんでした。よく知能テストとかに出てくる問題で、右の空欄に、左の図と同じものを書きましょう。といったような問題があると思います。右から2マス目、上から3マス目から始まるように三角形を書きましょうと言ったような問題です。図形模写?というのでしょうか?

この図形模写はGrayちゃんはできません。このことがきっかけで、市の教育相談を受けてみることにしました。それが小学校4年生の時でした。

 

最初はGrayちゃんと一緒のお部屋で学校の様子を聞かれたりして、学校での困っていることなどを聞かれていました。4年生まではあまり厳しい先生はいらっしゃらなかったので、学校で困っていることと言われても、それほど具体的な話はありませんでした。

日常的な、忘れ物の話や、宿題に時間がかかってしまうなど、たわいもない話でした。

月に1回ぐらい、定期的に通い、お話を聞いて下さるといった感じでした。

慣れてくると、子供と別々のお部屋で個々にお話をする形に変わっていきました。

5年生になって、宿題の量なども極端に増えました。女性の先生でしたが、本当に厳しく、できないことは何度も何度も反復させて指導する先生で、5年生になってからは、Grayちゃんの相談の時間も長かった様に思います。

反復して何度も同じことをするということも苦手分野の一つでした。

夏休みに入る前、WISC(ウィスク)という検査があるのですが、受けてみますか?と聞かれたことがありました。これは両親の同意がないと受けられないということでしたが、教育相談に通っていることも主人には話していなかったので、私と私の母で受ける事を決断しました。今でも主人は発達障害を受け入れきれていませんし、WISCの検査を受けたことがあることも知りません。

WISCの検査で、発達障害ですと診断はされませんが、かなり苦手分野はっきりと見えてきました。検査結果は学校にも提出し、配慮してほしいことは伝えましたが、それによって配慮されていたのかは、わかりません。特別扱いではなくて良いので、苦手分野のフォローはもう少し考えていただけなかったのかな?と今となっては思います。

 

Grayちゃんの場合、言葉の理解力と言うのが平均以上によく、逆に空間認知能力が低いことがわかりました。図形模写が苦手なことなどにつながってくることでした。

雨の日に傘をさして二人で歩いていると、Grayちゃんの傘がよくぶつかってきます。

人との距離感なども空間認知能力に関係しているかもしれません。

日常何気なく生活している中で、空間認知能力というのは、あまり意識していませんが、当たり前の様に使っている能力かもしれません。

幸い、言葉の理解力はありますので、事細かに説明してあげると、理解できることが多いです。

人間、誰にでも得意、不得意はあるものです。

自分の子供の頃と違い、時代的に、もう少し配慮していただけていたら、もう少し楽しい小学校生活を送れていたのではないだろうかと、今になって思います。

もう少しモンスターな親でもよかったかもしれないと今となっては反省しています。

 

 次回は教育相談を受けてからの、小学校生活を少し書いていきたいと思います。

 

 

 

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習い事

どこのご家庭でも、子供の可能性を信じて、金銭の許す限り、やりたいことをやらせてあげたいと思うご家庭が多いのではないでしょうか?

我が家も例外ではなく、子供がやってみたいと言った習い事は極力やらせてきました。

 

幼稚園の時はちびっこスポーツクラブ。年中、年長と2年間続けました。体力がなかったので、スポーツは苦手でしたが、 体力づくりも兼ねて参加させていました。走ることは苦手でしたが、跳び箱や鉄棒は得意でした。年長の最後にマット運動と跳び箱の発表があったのですが、小さいながらに頑張っている姿に感動してしまいました。

年長の頃から、英語教室にも通い始めました。姉も通っていたことと、先生との相性も良く、こちらの英語教室には今でも通っています。

本当にお世話になっている英語教室でして、実は発達障害を疑い、アドバイスを下さったのもこちらの先生でした。

英語教室のことは後半にも書いていきたいと思います。

 

年長の時からピアノ教室にも通い始めました。

ピアノ教室は4年ほど通いました。最初は歌とピアノと半々ぐらいの割合でした。

歌うことは好きでしたので、楽しそうに通っていました。だんだんとピアノのレベルが上がっていき、右手と左手が違う動きをすることがとても苦手で辛そうでした。

2年生の時だったと思いますが、ピアノの発表会で、歌を披露したことがありました。

どうしてもピアノを弾くことができずに、歌うことに決めたそうです。

最初こそ楽しそうに通っていましたが、ピアノは家でも練習が必要です。演奏する曲が難しくなるにつれ、練習も嫌になり、最後は本当にいやいや通っていました。

 

小学生になり、スイミングスクールにも通い始めました。進級ペースは遅かったと思いますが、頑張って5年間通いました。浅いプールから深いプールに変わる進級のタイミングがあったのですが、小さいGrayちゃんは深いプールは怖かったらしく、先生に進級したくないと申告したことがありました。先生も無理に進級して、プールが嫌になってしまっても…と2カ月ほど進級を遅らせてくださいました。2カ月かけて、少しづつ慣らしていってくださいました。大人でも胸ぐらいまであるプールでしたので、進級してからも、しばらくは足のつかない状態だったようです。

ピアノの時もそうですが、このようにきちんと自分の主張もできる子でした。

進級を遅らせてもらうなんて発想は私にはありませんでした。

スイミングスクールでは1回出席するとスタンプカードにスタンプを押してもらい、カードがいっぱいになると景品と交換できるシステムになっていました。1週目だったと思うのですが、くじ引きがあり、出席のスタンプのほかにボーナスで、くじで出た数のスタンプを押してもらえるイベントがありました。2個~4個のくじが多かったようですが、10個、50個のくじが少し入っていたようです。Grayちゃんは強運で、10個、50個を良く引いていました。スタンプを押してくださる方からも覚えられてしまうぐらい、よく引いていたようです。

進級するにつれ、泳ぐ距離が長くなったり、タイムを求められたりするようになっていき、体力の限界を迎え、やめることにしました。

少しでも体力づくりになればと思って始めたスイミングでしたので、5年間頑張ったと思います。

 

お習字も2年ぐらい通っていました。これも姉が通っていたので始めたものでした。

小学校の低学年の時に通っていたので、体力的にもきつかったようで、お習字に行っても、寝てしまうこともあったようです。前回、板書を写すのが苦手と書きましたが、

お習字も写す作業に似ているせいか、あまり得意ではなかったようです。いやいやながらに通っていたのだと思います。

ただ、基礎は教えていただいたので、丁寧に書けば、きれいな字を書く時もあります。

普段は、書き順もめちゃくちゃで適当な書き方をしていることがほとんどですが(;^_^A

 

小学生まではこんな感じであまり目新しい習い事はしていませんが、中学生になり、演技レッスンを受けたいと、演技の勉強をするようになりました。これは今でも続いています。全然進級しませんが、楽しく通っているようで、絶対にやめたくないそうです。

中3の春ごろから、乗馬も始めました。動物が好きなので、自分よりもかなり大きい馬ですが、上手に乗っています。最近は級があがり、馬に乗る装備の準備を自分で行わなくてはいけなくなってきたため、馬に乗ることは楽しいそうですが、準備が大変だと言っています。体が小さく、大きな馬に鞍をつけたりするのが大変そうです。

昨年の12月ごろからは、ボーカルレッスンも始めました。

今は演技とボーカルと乗馬と英語教室に通っています。

 

英語教室の先生には本当に感謝しかないぐらい、姉妹でお世話になっています。

姉は先生のおかげで、中2の時アメリカに短期留学をしています。その経験からか、英語に関連した仕事に就きたいと、大学は文学部英文科を選択しました。

Grayちゃんは中学に上がる際、数学が苦手だからと、数学も教えてあげると申し出てくださいました。ご自身で数学のテキストも用意してくださり、数学も教えて下さっていました。今は、学校のレポートのサポートまでしてくださっています。

先生がいなかったら、今でもGrayちゃんは誰からも理解されずに、つらい思いをしていたかもしれません。

 

次回は英語教室でのエピソードと教育相談を受けたお話を書いていきたいと思います。

 

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小学生①

前回はあまりにもショックだったので、現在の状況を書かせていただきました。

今週は順調に学校に行っているはずです。

今日は友達にやってもらったと言って、ピアスを開けてきました。

勉強はまだまだですが、当面の目標は、とりあえず学校に行くこと。

少し様子を見ていきたいと思います。

 

 

今回はGrayちゃんの小学生時代の事を書いていきたいと思います。

6年間は長かったので、何回かに分けて書いていきたいと思います。

 

Grayちゃんには姉がいます。

年齢は6歳違いで、Grayちゃんは早生まれなので、学年は5つ違い。

1年間だけ一緒に通うことができました。

我が家の地域は通学班があり、学年順に並んで登校します。

6年生の姉が班長で一番前に並び、1年生は3人いたのですが、幸いにも1番小さなGrayちゃんは姉のすぐ後ろに並び登校していました。

体の小さかったGrayちゃんは本当にランドセルが登校しているような状態でした。

 

Grayちゃんの小学生時代は本当に忘れ物が多く、とにかく毎日のように、何かを忘れていきました。家から持って行くものはもちろん、学校から持って帰ってこなくてはいけないものの忘れ物が多かったです。

 

家から持って行かなくてはいけないものは玄関に置いておき、忘れないように工夫をしたりもしたのですが、靴を履くときに座り、靴を履く間に手放し、忘れていきます。

月曜日は持ち物も多く、本当に大変でした。

6年間、何度となく、忘れ物を届けにいきました。

 

逆ももちろん多く、学校から持って帰ってこなくてはいけないものを持ち帰ってこないことも多かったです。特に多かったのは宿題です。

私が働いていたため、放課後保育を利用していたのですが、宿題をしないと遊べないルールだったので、いつも学校へ取りに行っていたようです。

私がお休みで、家に帰ってくる日も、何度も学校へ取りにいきました。

本当に忘れ物が多く、注意力の足りない子...当時はそのようにしか思っていませんでした。先生方の間でも、有名になっていて、忘れ物を取りに行くと、Grayちゃんまた忘れ物したの~とよく声をかけられていました。

親としては、申し訳なさと、恥ずかしさで、うつむきがちに取りに行くのですが、Grayちゃんはけろっとして、また忘れたの~なんて笑いながら答えていました。

気を付けなくては…とか恥ずかしいといった感情はなかったようです。

 

買い物に行ったときでも、自分が欲しいものを買って自分が持って行くと言って持たせていても、トイレに行ったりして手放すと、もう忘れてしまっていました。

こんなことが何度もありました。

 

 ADHDの特性である注意欠陥が目立っていましたが、以前の私は、発達障害ADHDといったことは知らなかったため、注意力散漫な子ぐらいにしか思っていませんでした。

 

2年生の時、宿題を取りに行ったときに、先生に呼び止められたことがありました。

2年生の教室は3階だったのですが、3階のトイレからトイレットペーパーを外に投げるいたずらをGrayちゃんがやったと言うのです。

聞かされたときは、ただただ驚きました。

経緯としては、最初にトイレットペーパーを投げるいたずらが判明し、先生は犯人は誰だかわからず、何か知っている人はいませんか?とクラス全体に投げかけたそうです。

後からわかりましたが、最初の犯人は本当にGrayちゃんではなかったようです。

その話を聞き、特性である衝動性が出てしまったようです。その話を聞いてから、授業中にトイレに行くと言ってトイレへ行き、楽しそうだからやってしまったと言うことでした。

衝動性に関しては、幸い人を傷つけたりすろようなことはありませんでした。

突発的に一人でイラっとしたり していた時もあったようですが、そこはうまくコントロールできていたようです。

 

あとは、とにかく整理整頓が苦手でした。

整理整頓に関しては、私も苦手ですし、Grayちゃんは今でも苦手です。

授業参観に行くと、いつもGrayちゃんのロッカーからは荷物があふれていました。

参観終了後の懇談会は、自分の子供の席に座るのですが、いつも机の中はひどい状態でした。ゴミと必要なものの区別もできていないような状態です。

鉛筆を削ったカスが、いつもティッシュに包まれていました。

給食のパンはさすがにありませんでしたが、丸まったティッシュなどは必ず入っていました。

 

ここまでの状況が揃えば、今の私でしたら、発達障害を疑ったと思います。

でもあの頃の私は無知過ぎて、発達障害なんて言葉さえ知らなかったのです。

 

低学年の頃は連絡帳も先生がチェックしてくださるので、持ち物は連絡帳で確認し、忘れないように持たせる、忘れたら届ける。といった形で済んでいたのですが、高学年になると、先生はわざわざ連絡帳も確認しなくなり、そもそも連絡帳に書いていなければ用意してあげることもできず、高学年になるにつれて、忘れ物に関してはGrayちゃん本人も困っていたと思います。

板書を写すことが苦手でした。高学年になって先生が連絡帳のチェックをしなくなってからはほとんど書いてきませんでした。板書を写すことの苦手さは、のちに学習にも影響してきました。学習が苦手になっていくきっかけの一つだと思います。

ゆっくりと落ち着てやれば、勉強もできないわけではないので、学習障害はないと思っています。そもそもGrayちゃんに学習意欲がないのですが(;^_^A

 

Grayちゃんは色々な習い事をしてきました。

次回はGrayちゃんの習い事について書いていきたいと思います。

 

 

 

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ショックだったこと

新しく学年が変わり、2カ月が過ぎました。

今回はGrayちゃんの小学生時代の事を書く予定だったのですが、ちょっとショックなことがあったので、そのことについて書きたいと思います。

 

Grayちゃんの学校は通信制の高校です。

コースが色々とあり、月に1回決められた日に登校するコース、週に1回登校するコース、週3回、週5回登校するコースの4種類です。

Grayちゃんは月に1回登校するコースです。

もちろん決められた1日以外にも通学することは可能です。むしろ、通わないとレポートが終わらない...一人で学習できる子は大丈夫だと思いますが。

Grayちゃんは一人ではできないタイプです。

 

義務教育が終わり学校に行かせなくてはいけない...と言う、勝手なプレッシャーから解放されて2カ月がたち、そろそろ学習状況も気になりはじめました。

個別に学習状況を確認できるアプリのお知らせが学校から届いたのですが、もらったIDとパスワードでログインができないΣ(・ω・ノ)ノ!

1日で何度も試してしまったので、銀行の暗証番号のように、ロックがかかってしまったかも、と思い、後日再チャレンジ!!

また、ログインできない!!!

そんなことを繰り返し、ずぼらな私は1カ月たってしまいました。(;^_^A

 

いよいよ学校に問い合わせることにしました。

まずはアプリのログイン方法から。

IDとパスワードを確認していただきました。電話をしながらの確認はできなかったため、後日試してみますと伝え、アプリの件は終了。

ついでで申し訳ないのですが、学習状況はどうでしょうかと伺ってみると...

 

「今日までの出席状況は4日ですね~(笑)」

 

えっっっ?????

ってなりました。固まりました。

私の中では(...と言うか本人の申告では)週に2回は通っていたはずなので、2カ月で、春休みとゴールデンウイークを除いたとしても、10回は通っていたはずじゃないのか~???

固まりつつ、頭は計算式がぐるぐると回っていました。

4日ですか??再度確認してしまいました。

幸い、先生が笑いながら話してくれたことが救いでした。

今のペースでは間に合わなくなりそうですねとお話ししましたが、先生は、今の時点で気付けいるので、まだリカバリーできますよとのことでしたが、今のままでは進級できませんねとおっしゃっていました。

 

Grayちゃんは毎日なにをしているのだろう?

学校へ行くと言って出かけていた場所はどこなんだろう?

 

不安と疑惑ばかりが脳内を支配していました。

実際に本人に確認しましたが、学校には行っている。授業に出た際の出席確認の方法が間違っているのかも...と言い訳しておりました。

のちのち触れていこうと思っていたのですが、Grayちゃんはウソをつく癖があります。

結果ウソとばれるウソが多いのですが、ウソをついて、それを取り繕うためのウソをまたつく。つじつまが合わなくなってバレる。といった感じですが、とにかくウソをついてその場を取り繕う癖があります。

今回もウソをついて取り繕いました。

登校の件については、はじめて本人に確認したので、深く問い詰めることはせずに、出席確認方法をもう一度先生と確認することを約束しました。

 

発達障害の特性なのか。

思春期だからなのか。

ただのわがまま、やりたくないことから逃げているだけなのか。

 

我が子ながら何を考えているのかわからなくなりました。

 ブログの当初に書きましたが、色々なことが自分だけできず、発達障害とわかって気持ちが楽になったとGrayちゃんは話してくれましたが、同時に、発達障害だからできなくて当たり前。「頑張ってやらなくてもいいんだ」という気持ちも芽生えてしまった様に思います。

Grayちゃんは頑張っていると言います。

周りから見たら頑張っているように見えない。やろうとする工夫もみられない。

苦手なこと、やりたくない事から逃げているだけの様に感じます。

 

一時期、わがままを許すことと、できないことを認めてあげる境界線がわからず、めちゃくちゃ悩んだ時期がありました。

今回のことで、またこのループに入り込んだ感じがします。

 

自分の学生時代を振り返っても、親にウソをつき、やりたいことをやっていた様に思うので、あまりGrayちゃんを非難できないところではありますが、最低限のやらなくてはいけないことはやっていた上で、自由にさせてもらっていたと思います。

 

Grayちゃんは計画的に物事を考えることが苦手です。

しかも頭の中だけでは絶対に無理で、見える形にしないと、なかなか進めません。

夏休みの宿題は典型的で、親が計画を立ててあげるのですが、後回し後回しになっていき、最終日に泣きながらやる。完全にのび太君タイプでした。

日々の宿題もそんな感じだったと思います。

自分のやりたいことが優先してしまうのです。

誰でもやりたくない事ってあると思います。

私も自分がズボラなので、気持ちはよくわかります。

家事も仕事もしなくて良いなら、どこまででもだらけることができます。(;^_^A

そう思うと、特性なのか??ただのわがままなのでは??

境界線がわからなくなります。

きっと答えは出ないと思います。

 

今回のことはとてもショックで、色々と考え込んでしまったり、このブログを書きながら考えてしまうことも多く、今日Grayちゃんと話をしているときに思わず涙が出てしましました。子供の前で泣くなんて、自分でも驚きました。

 

高校へ行く際に、自分を良く見せようとウソをつかなくていいんだよ。ウソのGrayちゃんとお友達になってくれる子を探すのはなく、ありのままのGrayちゃんを受け入れてくれるお友達を探したほうがいいよ~ ということを伝えたことがありました。

新しいことを始めるとき、わりと素直に頑張ろうという気持ちになってくれるので、話したことでした。

実際今回のことはお友達に対してついたウソではありません。

ウソをつくことが良くないということを伝えたかったのですが、伝わっていなかった結果ですね。( ノД`)シクシク…

学校に行っていなかったことももちろんショックでしたが、まだウソをついていることがショックでした。

今回の衝撃はちょっと大きかったので記録に残しました。悩みの無限ループに再突入といったところです。

まぁ~結局、見守ることしかできないのですが・・・

 

次回は予定通り、小学生時代のことについて書いていきたいと思います。

 

 

 

Gray-mama‘s biog

幼少期のこと

私のブログの内容とは、関係がないと言えば関係ないのですが、先日、私のブログの開始とともに、LittleGleeMonsterの芹奈さんがADHDであることと、双極性障害であることを発表されました。「どんな時でも自分らしくいる事が大切なのではないか。隠すことなく恥じることなく。私の姿がどこかの同じ誰かの1秒でも1日でも救えたら。その思いで発表することをきめました。」同じ病気を抱えている方たちに少しでもお力になれればという強い思いで、病名と現状を公表することを決断されたそうです。

なんだかとても共通点が多く、心からエールを送りたい気持ちになりました。

無理をせずに自分のペースで回復されることを願いたいと思います。

元気になってまた、5人の歌を聞かせてほしいと思います。

 

 

ちょっと話がそれたところから始まってしまいましたが、Grayちゃんの幼少期の事を書いていきたいと思います。

Grayちゃんは2006年の早生まれです。

生まれたときは体重3265g身長51cmの少し大きめな赤ちゃんでした。

生後3カ月ごろから保育園に通い始め、生後6か月ぐらいまでは、順調に発育していきました。

6か月をを迎える夏ごろ、睡眠時間も定まってきて、夜にしっかりと寝てくれる子でした。もちろん仕事をしていたので、夜にしっかりと寝てくれることは本当にありがたかっです。ある日保育園に迎えに行ったときに先生に夜中にも起こしてミルクを飲ませて下さいと言われました。

順調に発育していて、夜もしっかりと寝てくれていたことと、私自身が2人目の子育てだったこともあり、わざわざ夜中に起こす必要はないのではないかと、先生の言葉を受け入れられず、わざわざ起こすことはせずに寝かせていました。

すると、何日かして熱を出したのです。病院に連れていくと、脱水症状になりかけています。このままでは入院になるかもしれませんと言われました。

幸い、水分を口からとれたことと、熱も長くは続かなかったもあり、入院は免れました。

後からわかったことですが、昼間のおしっこの量が少なかったことで、保育園の先生は脱水症状を疑っていたということでした。たった2人の子育ての経験値と、保育のプロの経験値は、段違いなものなのだと見せつけられました。

疲れには勝てず、せっかくいただいたアドバイスも無駄にしてしまい、この経験は今でも後悔しています。

なぜかたくなに大丈夫と思ってしまったのか、今となっては自分でも不思議です。

ただ、やっぱりプロの視点というのは、素人とは違うものなのだと思いました。

このことがあってからの発育は緩やかになってしまい、身長も体重も成長曲線の一番下、ぎりぎりのところをたどる形での成長になってしまいました。体が小さいためか、体力もありません。

このことが原因なのかはわかりませんが、以前に比べるとミルクの飲みも悪くなりました。

保育園は混合保育で年齢の垣根がなかったため、Grayちゃんが小さいとは感じていませんでしたが、幼稚園に行くと、学年で一番小さかったです。

冒頭で書いたとおり、Grayちゃんは早生まれなので、それほど気にしていませんでしたが、結局小中学校の9年間も学年で一番小さかったです。

一番小さい子がうちの子だよと説明もしやすかったですし、なにより、一番前に並ぶことが多く、ビデオが撮りやすい!!

一番前で先生が邪魔...なんて時もありますが(;^_^A

周りのお友達も小さいGrayちゃんをとてもかわいがってくれていました。

幼稚園の面談で、「Grayちゃんは作業の進みが遅くて、周りの子が待てずにGrayちゃんの作業をやってまうので、おうちではあまり手伝わないようにしてください。」と言われたことがありました。幼少期から苦手なことも多かったのだと思いますが、早生まれなことと、小さいからできなくても仕方がないと周りが思ってしまっていたのだと思います。

同じようなことは家でもあって、祖父母も父親も先回りしてなんでもやってあげてしまうのです。

Grayちゃんはやってもらって当たり前。本当に我が家のお姫様でした。

周りがなんでもやってあげてしまうため、何が苦手なのかもわかっていませんでした。

 

早生まれだし、そのうちできるようになるよね~

 

合言葉のように暗示にかかっていたと思います。

 

昭和の時代とは違い、学校や幼稚園の先生が、発達障害の疑いがあると思っていても、親には言わない時代です。

私のよう無知な親では全然気付けませんでした。

早生まれなことも発見を遅らせる要因だったと思います。

 

幼稚園の時代は発達障害を疑うことはありませんでした。

かわいいかわいい幼稚園時代でした。

小さくて軽いため逆上がりが得意で、何度もくるくると回る空中逆上がりをみせてくれていた姿が懐かしいです。

 

次回は小学校低学年のころを書いていきたいと思います。